夢も目標も必要ない。

夢も目標も必要ない、

という禅僧の言葉の意味がわかった気がした。

それは、どんな夢も目標も、

盛り下げていくと、

行き着く先は、

特定の「感情」を求めていた、

ということだった。

その「感情」とは、

行き着くところ、

安心や、愛や、喜び

だったりする。

副業をしてFIREを達成するという目標も、

実は、達成すること自体が真の目標ではなく、

達成したことで得られる自由な時間で、

もっと家族と一緒に過ごす時間を増やしたり、

ずっとやりたかった自分の好きなことが出来るようになる、

というのがあって、

それは例えば、

陶芸のクラスに通うとか、

ゆっくり油絵を描くとか、

お天気のいい日にフラッと植物園に散歩に行くとか、

ガーデニングをするとか、

食べたいものを作って、

お気に入りの食器で、ゆったり小鳥の囀りなんかを聞きながら、

食べることなのかもしれない。

どうしてそれがやりたいの?

と聞かれても、

別に人が納得する理由なんて本当はなくてもいい。

むしろ、理由はわからないけど、ただ、やりたいという、

楽しそう、とか、

面白そう、とか

心地いいからとか、

幸せだからとか

そういう答えが本当は一番強いって。

なんで彼のこと愛しているの?

と聞かれて、

わからないけど、だた好きだから、

好きに理由はないよ、

というのが実は無条件の愛だったりする。

昔、斎藤一人さんが言っていた。

根拠のない自信が一番強いって。

根拠のない純粋な気持ちが一番強いのかも

愛情も。

だから、

本当は目標や夢なんてなくてもよくて、

だって実は本当に求めているのは、

その先にある、

「感情」

安心とか、喜びとか、充実感とか、心の平穏とか愛だったり、

するのだ。

思い出すと、

人生で一番幸せや心の平穏を感じていたときは、

こういった感情に溢れていた。

私の場合は、

彼が、ニッカルクタという

北の方に小屋を借りてくれて、

その大自然の中で、

ハイキングや、

ボートに乗ったりして、

二人で小さなベッドの中で

一晩中抱き合って、

眠った記憶。

その時は、

愛、安心、充実感、充足感、喜び、感謝に満ちていた。

だから、

夢や目標をもつ代わりに、

今、ここで、今日、

幸せや、充実感や、充足感や、喜びや愛を感じられるように、

考えるということをなるべく減らして、

「無心」に

今日1日を過ごし、

終えていきたいと思う。

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